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2008年12月30日

森岡隆三引退会見全文

 今年も多くの選手が現役生活にピリオドを打つ決断をしている。名波浩や森島寛晃といった選手がその筆頭にあげられるが、彼らと同等の経験を持ちながらも、ひっそりとスパイクを置いた一人として、森岡隆三の名前も上げておきたい。

 思いの外、森岡の引退については報道される分量が少なかったこともあり、ここに彼の引退会見の全文を掲載したいと思う(ここまで、江藤代筆)。

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・2008.12.06(SAT)京都vs清水の試合後、西京極での引退記者会見より

京都DF 背番号6 森岡隆三

今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことを決意しました。15年間というプロ生活、本当にいろんな事がありましたけれど、僕にとって・・・最高に楽しく、充実した15年間でした。今後は京都サンガの方で指導者としての道を歩みたいと思います。選手としてではないですが、一人のサッカー人として少しでも日本サッカー界を盛り上げていければと思います。これからは選手としてではなく、選手以上により厳しい道に入っていくと自分の中では思っています。社会人1年生と言いますか、本当に厳しいことがあると思いますが、これまで培ってきたものを活かして自分なりにがんばっていきたいと思います。


(相当悩んでらっしゃいましたが、引退を決意した一番大きな理由・キッカケは)

クラブの方からはかなり早い段階から選手ではなくコーチとしての打診は受けていましたが正直なところ、大宮戦の前日まではずーっと揺れ動いていました。現役をするか、しないかで揺れ動いてましたけど、大宮戦でチームの残留が決まってから力が抜けたというか。明確にではないですが『次のステップに進むころかな』と思いました。チームからの提示を受けたときに、その日の夜に封を切って改めて書面で見たんですけど、選手として『いや、まだやってやるぞ!』というよりも、コーチングスタッフとしての要望に少し意欲がわいたというか、そっちに心が動いたというか。その夜にググッと(気持ちが)傾いて決意しました。



(サンガに在籍した2年間で個人的に思い出深い試合は)

やはり2007年の入れ替え戦ですね。初めての経験でしたし、昨シーズンも怪我をして夏が終わるまで試合に出れなくて、そこから残り20試合ほどから試合に出るようになって。本当に“チームとして少しずつ成長しながら上に行くんだ”というみんなの思いがチームを一つにしていって。ようやく入れ替え戦になったわけですけども、特に第1戦目のときに最後に1点を取られてしまったんで(第2戦は)1点を取られたら負けるという状況でしたから、そういう緊張感の中でアウェイで戦ってJ1昇格を決めたのは、僕のサッカー人生の中で一番嬉しかった。それくらいやりとげたというか、チームが一つになったなと思った瞬間はなかったんで、思い入れのある試合ですね。



(縁というか最後が古巣・清水との試合でしたが、長谷川監督や選手と何か話はしましたか?)

今日はもちろん引退を決意して(試合に臨んだけれど)・・・今季の初めは『最終節が清水なんだ』くらいにしか思ってなかったんです。2週間前まで自分はやめる気がなかったんで。それがいざ引退を決意して向かえる試合が清水エスパルス。すごく不思議な、運命的なものを感じました。ただ、ホームゲームの最終戦。結果は残念なことになったけれど、そこで多くの人に話しかけたい気持ちはあったんだけど、そこで僕が(清水の人間に)話しかけるとチームの空気というか、やはり戦うというところじゃなくなってしまうんじゃないかと思って。今日はほとんど試合前は人とは会話をしてないですね。終わってからも清水はかなり早く帰らなきゃいけなかったんで。だから伊東さんがああゆう風にセレモニーに登場したのはそうとうビックリして、今日は(清水の人は)誰も参加しないって聞いてたので。思わず泣けちゃいましたけど。清水では本当に素晴らしいシーズンを過ごさせてもらって感謝してます。いま監督をやってらっしゃいますけれど長谷川さんは僕が入ったときにバリバリ、チームを引っ張ってくれて。(長谷川)健太さん、(沢登)ノボリさん、真田さん、(大榎)克己さん、(堀池)巧さん・・・若手で僕や(伊東)テルくんや(斉藤)トシさんや、いろいろ若手がいたわけですけれど、上の人たちの姿を見てきたからここまで来れたと思う。あの人たちと共に戦った、アルディレスが来た年なんですけど、ナビスコカップを優勝した年は僕にとってすごい思い出深いですね。



(心残りはありますか?)

サッカー人生に悔いがないなんて言うつもりはサラサラないですし、むしろ僕にとっては思い返せば苦い記憶・苦い思い出はいっぱい・・・そっちの方が容易に思い出せるというか。いまだに自分がJリーグデビューした試合、マリノスとの対戦でしたけど、自分のマッチアップした相手がラモン・ディアス。切り返しから素晴らしいシュートを決められてしまったんですけれど、その切り替えされた時に転びながら見てたボールがゴールに吸い込まれるシーンがいまだに頭に焼き付いてるくらいで。そういう苦い経験というか、痛い目にあいながら、それを自分の糧にしてがんばってきたんだな、ということばかりですね。あと残念だったのは(2002年・日韓)W杯の怪我とかもそうですけれど、その怪我もあったから、かなうことはなかったけれど『次の4年後も出てやろう』とがんばってこれましたし、日々もっと上手くなってやろうという思いでがんばってこれました。いつも前向きにがんばってこれたから、こういうセレモニーをさせてもらえる。本当にはありがたいことですし、こうして(多くの人に)来てもらえたんだなと思います。


(今後について)

まだそれほど話をつめている状況ではないんですが、京都でお世話になろうと考えています。今から改めてきちんと話をして、来季コーチとして・・・という風になると思います。今までのサッカー人生で偉大な指導者の方々にたくさんお会いしてきて。自分は高校時代(桐蔭学園高校)に、まず自分のサッカーの基盤となるものを作る高校時代を李(國秀)監督の元ですごして、鹿島では出場の機会はなかったけれど、そこでジーコにも会いましたし。そして宮本(征勝)さんに清水に引っ張ってもらってチャンスを与えてもらって、アルディレスに出会い、ペリマンに出会い、大木(武)監督、石崎(信弘)監督、長谷川健太監督・・・本当に素晴らしい指導者の方々に出会ってきて、それを少しでも自分のサッカーにプラスにしようと思ってやってきましたけれど、その人たちと今後は同じ世界に入っていくということで正直、ものすごい不安もあるんですが、逆にすごい楽しみでもあって。まだ本当に未知なる世界なので、自分がどういった指導者になっていくかというところまでは考えが及んでないんですが、これまでサッカー界で歩んできたように、少しでも前に進んでいこうというか、少しずつでいいんでいろんな経験をしながら進んでいければいいなと思います。あまり具体的でなくて申し訳ないんですが、そういう風に思っています。



(これまで戦った中で一番手強かった相手というのは)

えー・・・それはどんなゲームでもいいんですよね?やはりチームとして一番手強かったのなと思うのは、本当にコテンパンにやられたフランス代表(2001年3月、サンドニで5-0の敗戦)。『もう、どうしようもなかったなー』って思い出はありますし、選手で言えばジダン選手。まぁ、いっぱいいるんですけどね。Jリーグではエメルソン選手、エムボマ選手。ものすごいやられ方をしてるんで印象には残っています。そうですね、指導者としての部分で言うと、自分はそう能力の高い方ではなかったので、少しでもそういう化け物じみた選手たちとどう戦っていこうかという事をずっと考えながらやってきたので、そういう部分では自分の感じた感覚なり・・・たとえば足が遅くてもサッカーでは足の速い選手に勝てるというか、戦い方はあるので、そういう知恵というか頭を使う部分も指導者としてうまく出していければいいなと思います。

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